○浅井美峰氏「女性の連歌について―『菟玖波集』所収の短連歌を中心に―」
本発表では、『菟玖波集』所収の短連歌を中心として扱い、女性たちの連歌の様相について明らかにすることを目指す。
そもそも女性の連歌作品は、奥田勲「中世文学における女―連歌作者に女性はなぜいないか―」(『中世文学』四〇号、一九九五年六月)、「「女流」連歌略年表」(『聖心女子大学論叢』八四集、一九九五年一月)の論考と年表が示すように、男性と比べて残されている数が少ないということが知られる。
奥田論では『菟玖波集』について、女性の作者一覧を載せるのみで、それぞれの付合、作者についての詳細は検討されていない。他の先行研究でも、女性の連歌に焦点を当てたものはほとんど見られない。本発表ではまず、『菟玖波集』内の女性の連歌について概観した上で、その特徴について整理、検討していく。
文芸としての連歌は鎌倉期にかけて、形式が整い、連歌に参加する人々の数が増加し、その階層も拡大した。しかし女性に目を向けると、資史料の中に連歌に参加している記事は見え、短連歌作者としても多くの名が残るにもかかわらず、鎌倉期以降の女性の連歌は『菟玖波集』の中にごくわずかしか見られない。なぜ『菟玖波集』の中にこのような偏りが生まれたのか、その理由についても考えたい。『菟玖波集』の短連歌全体の中での男女間の差異や、女性作者たちの『菟玖波集』内・連歌史内での位置づけについても検討する。
二条良基『筑波問答』の中で「この比は女の連歌師などの侍らぬ、無念のことなり」とされているが、それがどのような女性連歌作者観により、どのような状況を反映して書かれたものか、連歌史上の女性の位置づけと共に考えていきたい。
○長谷川千尋氏「北野社御神忌法楽万句―二百五十年の連歌史―」
北野天満宮には、菅原道真七百五十年忌の慶安五年から九百五十年忌の嘉永五年に至る、五十年ごとの御神忌に奉納された五点の万句連歌が現存する。同時期の中島天満宮の『菅家神退万句』は宗因との関係で注目されたが、北野社の万句もまた堂上公家の発句を頂く盛大な催しであり、奉納懐紙がほぼ完備する点でも貴重である。万句の記録は、慶長七年の七百年忌から残っており、この時は松梅院が里村昌叱の助力を得て采配したが、七百五十年忌以降の万句興行の担い手は宮仕であった。彼らは、連歌は神職の第一の家業と称して稽古に励み、社内で古今伝授を伝え、専門連歌師さながらの作者集団として、里村家にほとんど頼ることなくして興行を成り立たせてきた。御神忌法楽万句の歴史を、作品と史料から辿る。
