俳文学会東京研究例会:第482回(2025年11月22日(土)午後2時30分~午後5時、江東区芭蕉記念館会議室)

○斉藤照徳氏「延宝8年芭蕉移居の頃の深川」

芭蕉研究において延宝8年の深川移居は、芭蕉の句風の変化の画期としてとらえられ、談林俳諧の行き詰まりと点者生活の限界を打破しようとした行動として評価されることが多い。そして、当時の芭蕉の作品は深川の草庵での孤独で侘しい生活をある程度反映されていると考えられている。そのため、芭蕉の深川移居は都会(日本橋)から田舎(深川)へ移り住むという芭蕉の意思があったとして、当時の深川を「未開で辺境の寂れた土地」として理解する傾向があるのではないだろうか。

しかし、このような理解は、歴史学・地域史研究の成果とは隔たりがあると考えられる。そこで本報告では地域史的視点から深川開発の歴史をふまえて、当時の深川の状況について確認することで、芭蕉の作品を実生活の反映としてどこまで理解できるのかを考察する一助となることを目指したい。

○深沢眞二氏「「いと涼しき」百韻を読む〈補遺〉」

 この百韻は、延宝三年(1675)夏、江戸に下った宗因を迎え、江戸俳壇の連衆が本所大徳院において興行した巻である。過日の俳文学会全国大会では17句分のレジュメを用意して7句を取り上げた。11月の東京例会では、残った10句についてお話しし、大方の御意見を伺いたい。10句は以下の通り。
4 石壇よりも夕日こぼるゝ 桃青/5 領境松に残して一時雨 信章/6 雲路をわけし跡の山公事 木也/
7 或は曰く月は海から出るとも 吟市/8 よみくせいかに渡る雁がね  少才/9 四季もはや漸々早田刈ほして  似春//
43 高面をのぞく障子の穴床し 才/44 ゆびのさきなる中川の宿 因//
88 たが参宮の伊勢ものがたり 市/89 見たひ事じや松坂こえてかけ踊 因
(レジュメを刷り直して用意しますので、全国大会の資料集を持参いただく必要はありません。)

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